タイ滞在雑感【ガイドブックに載っていないタイ】

タイ滞在間の雑感ブログです。ガイドブックに頼らず、見たまま感じたまま行動した結果の実体験を発信します。旅行や料理、その他生活に関することを紹介します。

徒然なるままに・・タイ滞在記(私がタイにハマった理由)

❷ 私がタイにハマった理由

 今日は、Masaです。

 この度は、私がタイにハマった理由をお伝えしたいと思います。

 タイにハマる方は多いと思います。タイに限らず、色々な地域に魅入られた方は相当数いると思います。

 そんな中、タイの魅力について私の経験をお伝えしたいと思います。私の経験談は、私自身のちょっとしたハマりではなく、私自身の人生を一変した出来事だったので、是非皆さんに紹介したいと考えています。

○ 初めてのタイ訪問

 私の職場ではタイにハマって足繁くバンコクへ通っていた同僚がいました。当時タイに全く興味の無かった私は、彼のタイに対する情熱は一体何なのだろうかと思っていました。

 2015年2月、仕事の関係でタイへ行くことになり、それなりに下調べを始めたところ、「何だか怪しげな国だな・・」が最初の印象でした。それもそのはず、あの同僚が購入したと思われる「G Diary」という雑誌を見ていたからです。ここでは、この雑誌の詳細は割愛しますが・・

 スワンナプーム国際空港に到着し、調整していた車両とドライバーさんと落ち合い、当初の目的地パタヤへ前進することになっていましたが、SIMカード購入のため、一度バンコクへ戻って欲しい旨ドライバーさんに伝えました。

 驚くほど英語の通じないドライバーさんに何とかバンコクでSIMを購入したい旨を伝え、伊勢丹近くのセブンイレブンに到着しました。

 持っていたポケットワイファイを見せ、購入したいプランを伝えようとしましたが、これまた驚くほど英語の通じない店員さんばかりで、途方に暮れていたところ、ドライバーさんがおもむろに彼の携帯電話を私に差し出しました。

 電話の先はバンコク在住の日本人であるIさんでした。勿論会ったことも話したことも無い方でしたが、ドライバーさんが我々のことを事前に話してくれていたようで、Iさんも私が困っていることを理解してくれていました。

 そして、仕事とは全く関係の無いIさんに超依存する形で初日がスタートしました。Iさんについては、後ほど述べます。

 バンコクパタヤでは、ファランと呼ばれる白人系外国人が夥しいほど居ますが、英語は殆ど通じない国なんだなとつくづく思う次第でした。

 

○ 不夜城パタヤ

 仕事の関係で、宿泊場所はバンコクパタヤの2箇所にありました。数日パタヤに滞在して、その後バンコクへ移動・数日宿泊、その後再度パタヤ、またバンコクという生活でした。

 パタヤは事前の予習でどのような街なのかはある程度把握していましたが、現地に到着して分かったのが、「仕事で来る場所では無い」ということでした。あまりにも誘惑が多すぎる!

 その日は週末で、宿泊ホテルの近くにあるHard Rock Cafeホテルからは深夜2時過ぎまで音楽が大音響で流れており、否が応でも街に繰り出したくなるオーラが街全体を覆っていました。

 そして、同僚と2人でウオーキングストリートへ出掛け、旅の土産話作りにゴーゴーバー巡りをすることになりました。ゴーゴーバー自体怪しさ満点なのですが、私が更に驚いたのは、中国人ツアー観光客の異常な多さでした。2〜3歳の小さな子供が親に連れられて夜の街を徘徊する姿は、異様でした。日本人的感覚だと「子供の教育上宜しくない」という声が聞こえてきそうですが、彼らは全く臆することなく、ツアーを楽しんでいる様でした。子供は楽しめているのか分かりませんが・・

 パタヤをたったこれだけで表現するのは、いささかパタヤに対して失礼に当たるので、今度パタヤに特化した記事を書いてみたいと考えています。

 因みに、退職後パタヤで第二の人生を送りたいとある方に相談したのですが、きっぱりと言われました。「やめなさい。後悔してからは遅い。」と。。理由は、追って紹介します。 

 

○ 急速発展する首都バンコクと、残された昔

 バンコクでは、高架鉄道BTSと地下鉄のMRTが市内を走っています。Iさんによると、MRTは日本の円借款で建設され、その昔(詳しい話は失念しましたが、1990年代だと記憶しています)はこの様な鉄道網は無くて、所謂昔の東南アジアの一都市だったとのことでした。

 それから、バンコクは高層ビルが勢いよく立ち並び、私が訪問した2015年当初では東京都心と比較しても遜色ない街並みでした。

 しかし、鉄道沿線から少し離れた街並みは昔を彷彿させる雰囲気のある佇まいで、現地の人々がよく利用している赤色のバスやモーターサイ(バイクタクシー)などが現役で活躍している様子が理解できます。

 

 因みに、BTSはドンムアン国際空港辺りまで工事が進展しており、2020年に完成した暁には、タクシーでは無くてBTSで市内中心街までアクセスできると思われます。

 この「大都会」的な顔と、「古き良き佇まい」を兼ね備えたバンコクが、昭和生まれの私にとってみるとノスタルジーを感じるのではないかと思っています。

 

○ ある人物との出会い

 私のタイ初訪問で、無くてはならない人物が二人います。前出のIさんが、そのうちの一人です。2015年当時66歳だったIさんはタイをこよなく愛する人で、歳は初老の域に入りますが、凄くバイタリティー溢れる方でした。

 Iさんは当時、家族を日本に残し、バンコクで複数の会社を経営しながら生計を立てていました。タイに少しづつ興味を持ち始めた私に対して、タイで起業する場合のノウハウを本気で教えてくれようとしていました。今から思えば、もっと真剣に聞いておけば良かったと後悔していますが・・(Iさんとは2015年5月にバンコクで再会しましたが、その後連絡をしても音沙汰がありません。今でも無事でいらしてくれることを祈念しています。)

 そのIさんが会うたびに口にしていた言葉がこれです。「タイの女性と××する時は、絶対にゴムを忘れないこと。私の友人は二人亡くなった。」66歳になっても、女性と一戦を交えることが当たり前のエネルギッシュな方だったので、自ずと先の言葉が出てきたのでしょう。

 Iさんのバイタリティを少し分けて貰った関係で、今では定年退職後にタイで起業をすることを考えています。

 もう一人が、バンコクで仕事の関係で知り合ったWさんです。彼女は私と出会う数日前に旅行で日本から帰ってきたばかりで、日本に興味のある方でした。私が日本人だから、また、彼女が日本贔屓だからかも知れませんが、アフターファイブでは、タイの食文化や街並みを体感してもらおうと非常に献身的なおもてなしをして頂きました。

 また、Wさんは非常に楽観的かつ大胆な考えの持ち主で、彼女の考え方は私の仕事や私生活に対する取り組み方に少なからず影響を与えました。

○ 最後に・・

 第2回目のブログ「私がタイにハマった理由」は、字ずらが多く、少々読み辛かったかも知れませんが、今後編集を通じてスッキリさせたいと思います。

 タイにハマった理由を一言で言うと、「日常と非日常が混在した魅力的な空間に対する憧れ」だと感じています。

 これから、もっともっとタイに関するネタを紹介したいと思います。

 それでは、ごきげんよう

Sawadee Khrap

 

【番外編】

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大型チェーン店”Big C"のコンビニ版”mini Big C"

 タイ全土では、Big Cという大型スーパーがあります。イメージ的には、日本でいう郊外型のヨーカドーやイオンみたいな感じです(タイでは決して郊外とは限りませんが)。

 要は、Big C=超大型店舗というイメージなのですが、このコンビニ版の店名がmini Big Cであって、名が体を表していない感がクスッと来ました。

 Big Cという店舗名を名詞として捉えれば違和感が無いのですが、Bigな店舗で有名なだけに、そのBigに冠としてminiが付されると違和感ありありで、発見した当初は面白くて仕方がなかったのです。でも、今は・・慣れると感情は徐々に薄れるのですね・・