タイ滞在雑感【ガイドブックに載っていないタイ】

タイ滞在間の雑感ブログです。ガイドブックに頼らず、見たまま感じたまま行動した結果の実体験を発信します。旅行や料理、その他生活に関することを紹介します。

徒然なるままに・・タイ滞在後記(タイへのノスタルジー、そして・・)

❸ タイへのノスタルジー、そして・・

  今日は、Masaです。

  今週初旬、タイから日本へ帰国しました。最近開通したThai Lion Airの国際線を利用したのですが、帰国前日、ビジネスクラスへのグレードアップを打診されました。

  アップ料は日本円でおよそ1万円だったので、「勿体無いから止そう」と考えて、初めはお断りしました。しかし、真冬の日本上空の乱気流の可能性、帰国翌日から仕事が待っている現実等々を考慮して、帰国当日グレードアップをお願いしました。

  ドンムアン空港でチェックインをした際、一応自分の座席がアップされたか否かを確認したところ、「座席は1Aです」とのことでした。おっと、一番前の窓側席ですやんか!これまで仕事でビジネスクラスを使用したことはありましたが、1Aは流石にアツい!

  しかし、嬉しい事ばかりではありませんでした。1Aに先客が居たのです。先客の彼女は屈託の無い笑顔で、「CAに確認したら、間違いなくこの座席と言っていたわ。」と流暢な英語で話しかけました。

  彼女の笑顔と、窓際の席を勝ち取った確信犯的な匂いを感じ取った私は、深夜便でもあった事から、「あのね、A座席は通常端から・・(以下略)」と説明しようと思いましたが、「チケット見せて」と言ったところ、すかさず席を移動してくれました。

  そして、彼女は「この毛布、あなたが使って良いわよ。」と手渡してくれました。元々、私の席に備え付けられた物だったのに・・と思いながらも、「彼女は流暢な英語を話している事、ビジネスクラスに搭乗している事から、恐らく一般的な常識は持っているのだろう。しかも、タイでは富裕層なのだろう。でも、海外旅行で少しハイになっているのかな?」と寛容な態度で接することができました。

  アフリカの航空便で同じ経験をしたことがあります。私の席を占有していた男性は、「わしの兄が今死にそうなんじゃ・・」と切に訴えかけてきましたが、「でも、どの席に座ろうが、目的地には着くし。ましてや、そこは私の席ですよ。」と言ったことがありました。

  国・地域が違えば言い訳も違うのかなと思いながら、取り敢えず自分の座席を確保できたことに感謝しつつ、帰国の途につきました。

 

 ○ 理想と現実

  このブログを書いている私は、将来、タイ嫁を貰うことを前提として、日泰を足繁く往復しています。実は、先のブログで書いた「ある人物との出会い」の一人である「人物」と結婚する流れになりました。

  私が中学生の頃に抱いていた理想は、次のような感じです。「外国人の女性、出来ればイタリアのシシリー島あたりで生まれた絶世の美女と運命的な出会いをして、そのまま恋に落ちて、結婚したい・・。」

  そして大人になって、理想を追いかけた結果、今実際に辿っているのが次の通りです。「外国人の女性、(イタリア人じゃ無いし、シシリー島あたりで生まれた女性じゃ無いけど、フィーリング的に)自分のハートにど真中な(美)女と運命的な出会いをして、そのまま恋に落ちて、今まさに結婚に向けて準備中」です。

  紆余曲折はありました。タイ人を悪く言うのは間違っていると思いますし、タイ人を一括りに評価するのは暴論です。しかし、知人でタイ人女性と結婚している男性は、押し並べてこう言っていました。「タイ嫁、性格キツイでしょ?」

  ん〜、自分の先の人生もあるので、先輩方の発言を否定したいのですが、事実キツイ(こわい)面は、日本人女性に比して多いかも知れません。でも、あくまでも個人が感じる事ですし、私も日本人女性の全てを知っている訳では無いので、ここではコメント出来ません。むしろ、コメントするのは、日泰両国の女性に対して失礼に当たると思っています。

  一つ確かに言えるのは、国や環境が異なれば、当然違う考え方を持つと言う事。私自身、日本に生まれながら、海外での生活が比較的長かったためか、一般的な日本人よりも異なる考え方を持つようになりました。

  理想は、理想。現実は、理想と異なる場合がある。でも、理想を追い続けることは、人生(観)を豊かにするし、若さやバイタリティを維持する事にもなると思います。また、人間は現実を直視して、理想に近付ける努力や工夫をするものだと信じています

 

 

 ○ 定年退職後を考える原動力

  定年退職後、タイで骨を埋めます。タイで人生を全うします。不幸か幸いか、実は両親や兄弟とはあまり仲が良くありません。しかし、昔から海外に興味が深かったため、タイで人生を終える事に親兄弟の心配や助言を気にする必要は無く、むしろ「これで良かったんだ」と思っています。人生は一度きりですし、後悔は決してしたく無いから悔いはありません。

  こう思えたのは勿論、先に述べた人生のパートナーがタイ人であることが大きな理由でしょう。私が彼女を人生の伴侶として選択した理由は、見た目や色気、その他の要素よりも、人生を楽しくしてくれる期待を持たせてくれる人物だったと確信したからです。

  彼女には、知り合って(当時はただの友達でしたが)言ったのが、「容姿は特に私の好みでは無い」と言うことでした。今から考えれば、非常に失礼なことを言ったと思いますが、これは事実でした。

  ただ、彼女にはこう言いました。「考え方が非常に奔放で、ある意味羨ましいけど、一寸先が闇的なところがある。もっと、足元を見つめて、今の生活を維持・向上することを少しでも考えた方が良いのでは?」と。

  彼女が何を言ったのか詳細は失念しましたが、「難しく考えずに、楽に考えなよ。」と言っていたことを記憶しています。

  この言葉が、今私が現在の仕事を続けながら定年後の生活を如何に楽しくするかを考える大きな原動力となっています。つまり、くよくよ杞憂するのでは無く、苦しければその時に考える。今苦しくなければ、それはそれで順調だよと言っていたのだろうと理解しています。また、これからも、そう理解します。そして、楽しく人生を謳歌できるためには、「楽に考える」余裕を(意識して)持つことが秘訣なのではと、今思う次第です。

  

 ○ 今の私を動かす力

  今、私は現在の仕事をしながら、新たな外国人の伴侶を迎える準備をしています。日本人同士の結婚であれば、役所へ1枚の書類を提出すれば婚姻関係が成立する訳ですが、外国人同士が婚姻関係を結ぶとなれば、そうは問屋が卸しません

  彼女の所在していた役場で数種類の書類を取り寄せ、英語版に翻訳し、タイ外務省で認証を貰い、そしてそれら書類を・・等々婚姻関係を結ぶだけで、恐ろしく時間がかかります。

  またその後も、配偶者ビザ取得のため、入国管理局へ提出する書類が山のようにあります(これはこれから経験しますが・・)。

  こう言った一連の手続きは面倒だと思いますが、この経験をブログでいつか紹介したいと言うモチベーションがあります。

  昔、私はアトピー性皮膚炎に悩まされていました。今でも、少しその影響はあります。当時、アトピーの記事を見つけてはそれを読み尽くし、即効性のある薬剤を見つけた暁にはそれを購入し、試したものです。

  購入した半数以上のものは眉唾物でしたが、最終的に、自分の症状に合致する薬が見つかって、現在はアトピーとほぼ無縁の生活を送ることが出来ています。

  つまり、私自身が困った経験を何かの記事や誰かの経験談を拝聴することで、私自身の悩みがすっかりと消えってしまったことから、私は今、タイの経験を様々な方々にお伝えして、共感を抱いてくれたらそれを実践して頂きたいと考えています。これは、人生の伴侶選びのこともそうですし、旅行やその他タイに関する諸々を全て含みます。

  

 ○ これから、何をして社会貢献できるか?するべきか?

  私の人生のターニングポイントを迎えた書籍があります。それは、「アドラー心理学」です。アドラー心理学に関する書籍は多く書店に並んでいると思います。私が言いたいのは、「この著者の、この書籍です。」と言うことでは無く、「アドラー心理学が私を変えた」と言うことです。

  アドラー心理学は、賛否両論あると思います。正直言って、最初読んだ時は「何て暴論なんだ・・」と感じました。しかし、3度、4度、5度と読み返すうちに、アドラーの教えは、本質を突いていると感じるに至りました

  アドラーを語るにはまだ若いですし、今回のブログで紹介するには長くなりそうなので、次の機会に譲りたいと思います。

 

  それでは、ごきげんよう

 

Sawadee Khrap

徒然なるままに・・タイ滞在記(私がタイにハマった理由)

❷ 私がタイにハマった理由

 今日は、Masaです。

 この度は、私がタイにハマった理由をお伝えしたいと思います。

 タイにハマる方は多いと思います。タイに限らず、色々な地域に魅入られた方は相当数いると思います。

 そんな中、タイの魅力について私の経験をお伝えしたいと思います。私の経験談は、私自身のちょっとしたハマりではなく、私自身の人生を一変した出来事だったので、是非皆さんに紹介したいと考えています。

○ 初めてのタイ訪問

 私の職場ではタイにハマって足繁くバンコクへ通っていた同僚がいました。当時タイに全く興味の無かった私は、彼のタイに対する情熱は一体何なのだろうかと思っていました。

 2015年2月、仕事の関係でタイへ行くことになり、それなりに下調べを始めたところ、「何だか怪しげな国だな・・」が最初の印象でした。それもそのはず、あの同僚が購入したと思われる「G Diary」という雑誌を見ていたからです。ここでは、この雑誌の詳細は割愛しますが・・

 スワンナプーム国際空港に到着し、調整していた車両とドライバーさんと落ち合い、当初の目的地パタヤへ前進することになっていましたが、SIMカード購入のため、一度バンコクへ戻って欲しい旨ドライバーさんに伝えました。

 驚くほど英語の通じないドライバーさんに何とかバンコクでSIMを購入したい旨を伝え、伊勢丹近くのセブンイレブンに到着しました。

 持っていたポケットワイファイを見せ、購入したいプランを伝えようとしましたが、これまた驚くほど英語の通じない店員さんばかりで、途方に暮れていたところ、ドライバーさんがおもむろに彼の携帯電話を私に差し出しました。

 電話の先はバンコク在住の日本人であるIさんでした。勿論会ったことも話したことも無い方でしたが、ドライバーさんが我々のことを事前に話してくれていたようで、Iさんも私が困っていることを理解してくれていました。

 そして、仕事とは全く関係の無いIさんに超依存する形で初日がスタートしました。Iさんについては、後ほど述べます。

 バンコクパタヤでは、ファランと呼ばれる白人系外国人が夥しいほど居ますが、英語は殆ど通じない国なんだなとつくづく思う次第でした。

 

○ 不夜城パタヤ

 仕事の関係で、宿泊場所はバンコクパタヤの2箇所にありました。数日パタヤに滞在して、その後バンコクへ移動・数日宿泊、その後再度パタヤ、またバンコクという生活でした。

 パタヤは事前の予習でどのような街なのかはある程度把握していましたが、現地に到着して分かったのが、「仕事で来る場所では無い」ということでした。あまりにも誘惑が多すぎる!

 その日は週末で、宿泊ホテルの近くにあるHard Rock Cafeホテルからは深夜2時過ぎまで音楽が大音響で流れており、否が応でも街に繰り出したくなるオーラが街全体を覆っていました。

 そして、同僚と2人でウオーキングストリートへ出掛け、旅の土産話作りにゴーゴーバー巡りをすることになりました。ゴーゴーバー自体怪しさ満点なのですが、私が更に驚いたのは、中国人ツアー観光客の異常な多さでした。2〜3歳の小さな子供が親に連れられて夜の街を徘徊する姿は、異様でした。日本人的感覚だと「子供の教育上宜しくない」という声が聞こえてきそうですが、彼らは全く臆することなく、ツアーを楽しんでいる様でした。子供は楽しめているのか分かりませんが・・

 パタヤをたったこれだけで表現するのは、いささかパタヤに対して失礼に当たるので、今度パタヤに特化した記事を書いてみたいと考えています。

 因みに、退職後パタヤで第二の人生を送りたいとある方に相談したのですが、きっぱりと言われました。「やめなさい。後悔してからは遅い。」と。。理由は、追って紹介します。 

 

○ 急速発展する首都バンコクと、残された昔

 バンコクでは、高架鉄道BTSと地下鉄のMRTが市内を走っています。Iさんによると、MRTは日本の円借款で建設され、その昔(詳しい話は失念しましたが、1990年代だと記憶しています)はこの様な鉄道網は無くて、所謂昔の東南アジアの一都市だったとのことでした。

 それから、バンコクは高層ビルが勢いよく立ち並び、私が訪問した2015年当初では東京都心と比較しても遜色ない街並みでした。

 しかし、鉄道沿線から少し離れた街並みは昔を彷彿させる雰囲気のある佇まいで、現地の人々がよく利用している赤色のバスやモーターサイ(バイクタクシー)などが現役で活躍している様子が理解できます。

 

 因みに、BTSはドンムアン国際空港辺りまで工事が進展しており、2020年に完成した暁には、タクシーでは無くてBTSで市内中心街までアクセスできると思われます。

 この「大都会」的な顔と、「古き良き佇まい」を兼ね備えたバンコクが、昭和生まれの私にとってみるとノスタルジーを感じるのではないかと思っています。

 

○ ある人物との出会い

 私のタイ初訪問で、無くてはならない人物が二人います。前出のIさんが、そのうちの一人です。2015年当時66歳だったIさんはタイをこよなく愛する人で、歳は初老の域に入りますが、凄くバイタリティー溢れる方でした。

 Iさんは当時、家族を日本に残し、バンコクで複数の会社を経営しながら生計を立てていました。タイに少しづつ興味を持ち始めた私に対して、タイで起業する場合のノウハウを本気で教えてくれようとしていました。今から思えば、もっと真剣に聞いておけば良かったと後悔していますが・・(Iさんとは2015年5月にバンコクで再会しましたが、その後連絡をしても音沙汰がありません。今でも無事でいらしてくれることを祈念しています。)

 そのIさんが会うたびに口にしていた言葉がこれです。「タイの女性と××する時は、絶対にゴムを忘れないこと。私の友人は二人亡くなった。」66歳になっても、女性と一戦を交えることが当たり前のエネルギッシュな方だったので、自ずと先の言葉が出てきたのでしょう。

 Iさんのバイタリティを少し分けて貰った関係で、今では定年退職後にタイで起業をすることを考えています。

 もう一人が、バンコクで仕事の関係で知り合ったWさんです。彼女は私と出会う数日前に旅行で日本から帰ってきたばかりで、日本に興味のある方でした。私が日本人だから、また、彼女が日本贔屓だからかも知れませんが、アフターファイブでは、タイの食文化や街並みを体感してもらおうと非常に献身的なおもてなしをして頂きました。

 また、Wさんは非常に楽観的かつ大胆な考えの持ち主で、彼女の考え方は私の仕事や私生活に対する取り組み方に少なからず影響を与えました。

○ 最後に・・

 第2回目のブログ「私がタイにハマった理由」は、字ずらが多く、少々読み辛かったかも知れませんが、今後編集を通じてスッキリさせたいと思います。

 タイにハマった理由を一言で言うと、「日常と非日常が混在した魅力的な空間に対する憧れ」だと感じています。

 これから、もっともっとタイに関するネタを紹介したいと思います。

 それでは、ごきげんよう

Sawadee Khrap

 

【番外編】

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大型チェーン店”Big C"のコンビニ版”mini Big C"

 タイ全土では、Big Cという大型スーパーがあります。イメージ的には、日本でいう郊外型のヨーカドーやイオンみたいな感じです(タイでは決して郊外とは限りませんが)。

 要は、Big C=超大型店舗というイメージなのですが、このコンビニ版の店名がmini Big Cであって、名が体を表していない感がクスッと来ました。

 Big Cという店舗名を名詞として捉えれば違和感が無いのですが、Bigな店舗で有名なだけに、そのBigに冠としてminiが付されると違和感ありありで、発見した当初は面白くて仕方がなかったのです。でも、今は・・慣れると感情は徐々に薄れるのですね・・

徒然なるままに・・タイ滞在記(ビール・アルコール編)

 初めまして、Masaといいます。

生まれて初めてのブログですが、息長く続けて行きたいと思っています。

 

このブログは、私の経験談を紹介することで、少しでも良くも悪くもタイの雰囲気をお伝えできればなと思って書いています。

 

約4年前に仕事でタイを初めて訪問してから、この国の虜になってしまいました。それまでは、全くと言っていいほどタイに興味がありませんでした。

そしてそれから今に至るまで、約10回タイを訪問することになりました。このブログも、タイの田舎町「チェンライ」で書いています。

なぜ「チェンライ」なのかは追い追い話をするとして、今回が初ブログなので、お題は軽めに「ビール」で行きたいと思います。

 

❶ タイのビール

さて皆さん、タイのビールと言えば何という銘柄を想像しますか?

恐らく、殆どの日本人がこの銘柄を目に浮かべると思います。Singha Beer

そうですね、あまりにも有名なシンハービールです。日本でもスーパーやレストランなどで目にしたことがある人は多いと思います。

因みに現地人は「ビア・シン」と呼んでいます。

タイにはシンハー以外にも色々なビールがあるので、ビール党の私としては有難い限りです。

色々なビールを試し飲みして私的に最もしっくりくるのがシンハーなのですが、ふと回りを見て気が付いたことがありました。

何と、殆どのタイ人はシンハーを飲んでいませんでした。

(私が利用したのは、庶民が行くリーズナブルな価格で飲食を提供するレストランでした。)飲んでいたのが、これ「チャン」です。ãbeer chang thailandãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

知人のタイ人に理由を聞いたところ、次のように言っていました。

○ シンハーは他のブランドよりも若干高い

○ ハイソなタイ人はシンハーを飲むが、庶民は安い銘柄を好む

シンハーよりもチャンの方が酔える。(シンハーの方が飲み口が良い)

○ よって、シンハーを注文するのは、お金持ちのタイ人か外国人が多い。

 

酒好きな私としては、どちらのビールが良いとか悪いとかは関係なく、ビールの味がすれば何でも良いタイプなのですが、現地人との垣根を低くするために敢えてシンハーを注文しない場合もあります。

この他にも、レオという銘柄もあり、それぞれ個性があります。味もそうですが、ボトルのラベルもそれぞれ異なるため、色々と試して頂きたいと思います。brown and blue Buddha statue

【おまけ】

 因みに、タイでは「仏教の日※」に酒類を販売してはいけないルールがあり、レストランでお酒を注文しても、提供してくれないので注意が必要です。

 ※2019年は、2月19日・5月18日・7月16日、17日、28日・8月12日・10月13日・12月5日が「仏教の日」です。

特に7月中下旬は3日間の禁酒日があるので、夏休みでタイを訪問する方は注意が必要ですね。

更に、日本とは異なって、タイでは酒類を販売する時間帯が決まっています午前11時から午後2時と午後5時から午前0時までが販売時間なので、スーパーやコンビニで買いたくても買えません。

レストランやナイトクラブなどは営業時間内であれば、先の時間帯に関係なく酒類を提供してくれるので、心配ありません。

 

次回は、違うネタを紹介したいと思います。

今回のタイ滞在はあと数日ですが、日本人目線で面白いネタを探して行きたいと思います。それでは、ごきげんよう

Sawadee Khrap